うさぎと鯉と私と好きなもの

趣味の色々の記録場所。

積み上げたものぶっ壊して

2006年と2007年を知る私には、文句を言う権利があると思う。
この物持ちの良さは笑うところ。

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捨てられずに十年以上が経過した、当時の球団誌だ。
2006年の最終戦とその後のコメントがあるこれをどうしても捨てることができなくて私はずっと手元においている。
毎年の「今年は帰る」が秋の風物詩といわれようとも、ずっと夢を見ていた。
それが現実になったのだから、夢は見ていてもいいんじゃないだろうか。
そこに付属した25番の事件を覚えている人ならお察しのとおり。
私も失望して怒りを覚えたひとりだ。
出て行くならば、もう敵だ。
そう思って何年経ったろうか。
まさかである。

2014年11月。
自由契約とそう時間をおかずに流れてきた『獲得』のニュース。
31番主催の食事会じゃないけども『どの面下げて帰ってきたんですか』という話。
そりゃ本人も帰れないって思うわな、思わないとおかしいわな。
その当時25番はドラ1入団に譲られており、空き番ではない。
取り上げられることはなく、空き番であった28番に収まったわけだ。
私の周りはだいたい『どの面ry』という意見が多かったのだが、皆が『うっ』と手のひらを返しかけたきっかけになったのが入団会見だった。
似合うのだ。悔しいことに、赤いユニが、とても似合うのだ。
私の周りはこれで頭を抱えていた。いなかったことが嘘のように似合うのだ。
移籍?気のせいだったんじゃないかな?と思わされるような。
それでも活躍しなければ期待をまた裏切られるだけだ。
比較的静観していたのが最終的に手のひらを返すことになったのは結局彼がキャンプから必死だったからにならない。
何も変わっていない彼がそこにいたからにならない。
これは代打でも来るぞ、と思って蓋を開ければ、気づけばまさかのレギュラーで四番に座っていた。

こんな物語誰が信じろというんだ。
2014年の11月と12月はジェットコースターだったと今でも思う。
2007年の私、信じられるか?
エースと四番が帰ってくるぞ、覚悟して待ってろ。
誰も信じないと思う。

良くも悪くも、愛情は一周回れば憎しみにもなる。
活躍さえすれば文句は言わない、言われない。
あの応援歌を、いまだに皆が大声で歌えることがある種の答えなんだと思う。
未だに覚えきれてないレギュラーがいるというのに、私だって彼のなら歌える。
赤の縦じまの25番のユニを、あれだけブーイングを飛ばしながらも持っている人がいる。
それが、きっと答えだ。
2016年に皆が一緒に泣けた、十分だ。
手のひら返し?上等じゃないか。
苦しいときを皆知ってるんだ。泣くに決まってる。

さて、やっとコマが揃った開幕を迎えた。
こんなに右の代打いませんでした?と思っていた4月頭でした。
年齢的に計算に入れてはいけないんだろうけど、いざというときの25と55、基本の打線にいる51。
やっぱり大砲は右だよね!!と思ってしまうのは染まりきったからだろうか。
天才肌の左もいいけど、泥臭い右も良い。
とりあえず、お帰りなさい、と改めて。
交流戦までは贅沢言わないから5割で頼む。