うさぎと鯉と私と好きなもの

趣味の色々の記録場所。

胸の中へ焼けついた君を想った

ついにその日が来てしまったと言われたらそれまでで。
長くいたらずっといてくれるような気になるじゃん、なってたじゃん。
覚悟はしてました。
今季の出番は後半まったくなかった時点で今年は危ないかもな、くらいは思ってました。

彼の初期をあまり記憶にないのは、私が中継を見れる環境になかったからだな。
環境を整えたのは、2013年。
そう、あの、チームの成績が上向き始めたあの年です。
あの年は私も環境が変わって、関西に住み始めた年でした。
最寄は甲子園。今ではひとりでも行けるあの球場も、黄色に染まる中に乗り込む勇気なんてまだなかった。
念願のAクラス。CS出場が決まって、試合開催はその甲子園。

あの、球場全体が敵になる、甲子園。

どうする、と悩んで選んだ道は、【行くしかない】でした。
ひとりでは、なかったけども。
もしかしたら、応援なんてできずに見守るだけかもしれないけれど。それでも。
チケットを確保して、行こうと決めたあの日、CS1stステージ二戦目。
私は外野レフトスタンドに席をとりました。
もしかしたら、一戦目も負けて敗退を目撃するかもしれない。
もしかしたら、勝ちあがってくれるかもしれない。
もしかしたら、心細い思いをして帰るだけかもしれない。
それでも、せっかくのチャンスだから。
そうやって目にしたのは、赤いレフトスタンドでした。
あの日、レフトを守っていたのは55。
先制されて追加点を取られそうな場面で見たファインプレー。
あれがあったから、流れは向こうに行かなかった。
本職じゃない左翼でいつも必死にプレーしてくれた頼りになる助っ人でした。
そういえば、私が初めて甲子園で一人観戦した2015年の甲子園最終戦、あれも彼のファインプレーがありました。
遠征したハマスタだって、延長戦で決定打を打ってくれたのは彼だった。
彼に助けられた試合なんて、もう数え切れないほどある。

1回をぴしゃりと抑えて、満面の笑みでマウンド降りる姿が印象的な陽気な助っ人も、今年限り。
残念なシーンだって一年間戦うとなるとそりゃいくつもある。
負けがつかずに終わる一年なんてあるわけがない。
彼がいなかったら、三連覇なんてできなかった。
たくさんたくさん、助けてもらったのだ。

助っ人とはそういうものだ、と割り切るのは簡単だけど活躍してきた時間が長くなるだけ寂しい。
まだ日本でやりたいと言ってくれていることもあるだけに、できればどこかで活躍してくれるといい。
実績もある、人柄も良い。下手な助っ人に一年間任せるよりも、活躍してくれると思う。
年齢のことがネックかもしれないけれど、彼が最後まで燃え尽きられるように。
彼らの背番号を新たに背負うことになる選手が、また愛されるような選手になることを願っている。